破壊と創造の2023年。今年からこのブログの名前も変わり、それに伴い毎年飽きもせず記事にしていたベストショット記事も名前が変わることとなりました
私生活においても本当に色々ありまして状況が上がったり下がったり底辺の地の底までいったりと様々あり仕事においては上々ですが私生活においては愛も変わらず絶望の底。
シャッターを切っても一人。誰にも愛されない写真撮りの様々あった今年を100枚の写真と振り返っていくことにしましょう
今年の100枚
今年の始まりは何故かX-T5と共にありました。何故買おうと思ったのか何故売ろうと思ったのかすらもう思い出すことはできませんがそれも人生の選択ということで
年の初めは仕事の関係で多少関東近郊を車で巡っていたので写真を撮ることも増えていました。というのもGFXにRokkorレンズを購入したのでとりあえず撮ってみようという感じで楽しい時期でした
逆に4月からの記憶があんまりなくて関西行ったりと試行錯誤というかフラフラしていました。不安定な時期になると写真がめっきり減るのはいつものことですね。心は平穏でありたい
そういえば気まぐれでGF50mmを購入してました。結論からいうと手元にはもうないわけなんですがこの購入から自分は開放F2.8は最低でもないと嫌な人間なんだなということに気付きました
少し時間ができたので何年ぶりかに海外を旅しました。コロナでずっと行けていなかったので本当に感動したというかああこれだよこれって感情になって海外を撮るのってこんなに楽しいんだなと久々に実感できました
行く国は様々な候補があり本音では車を借りてアメリカを旅したかったのですが金銭面的理由が主な理由で断念。そして自分が行きたい国の殆どがお金がかかる国であるということに気付いて興味があって尚且つ安く済ませることができるトルコと東欧という選択にしました
トルコには以前にもトランジットで来たことがあったので実に大学生の時以来数年ぶり。あまり観光できていなかったのでほぼ初めてみたいなものだったので改めて観光してみるとこんなにも魅力が多い国だったのだと知りました。ただしイスタンブールは危険なのでそこだけは気を付けて
トルコが親日的と言われていることに多少懐疑的でしたが実際に旅してみるとそれも間違いではないんだなと知りました。とにかく親切にしてくれる人が多くて何度でも来たいと感じさせてくれるいい国です
絶対に行ってみたかったカッパドキアは本当に素晴らしい街でご飯も美味しくどこを撮っても美しかったです。問題は日差しが強すぎて肌が真っ赤に焼け焦げたことですかね。そしてメインの目的でもある気球ツアーにも参加できたのでこれでトルコは完成です
トルコの次はギリシャへ。経済破綻した男が経済破綻した国に行くのですから中々笑える話ですがトルコと全く違って物価が高いです。地理的には東欧の区分でもいいはずですが雰囲気など見てると間違いなく西欧の国ですね
ギリシャは別にそんなに行くことろもなかったので早々にブルガリアへ。このね、ブルガリアがね、中々悲惨だったというか物価は安いのですがかなり不愛想だし観光地はそんなでもないし食中毒にはかかるしで今まで行った国ワースト疑惑がありました
国民性でいえばモロッコが最悪だったのですが向こうは観光地が凄いのでね
この旅最後の国がルーマニア。東欧と聞いたときに思い浮かべる代表的な国ではありますがドラキュラの国ですしなんかジメジメした国なのかなーと思っていたのですが実際は西欧そのものといっていいくらいカラッとしていてみんな優しくいい国でした。この国で旅を締めくくることができたのでいい旅だったなと思えました。ブルガリアならどうなっていたのか…
今年は何故か二回も奄美大島に行くことになったのですが国内でも5本の指に入るくらい好きな場所です。みんな優しいですし自然は美しいですし何よりもまずご飯がめっちゃ美味い。鶏飯は東京でも食べれるところを増やしてほしい
今年のベストショットはこれです。長い時間がかかりましたがようやく私の写真をまとめた本を出版することができまして都内の本屋で平積みしてもらいました。これで私の写真人生のキャリアハイということになるでしょう、ここからは下るのみです
そして仕事先が決まってまた時間があったので台湾を旅行しました。真夏は過ぎていたので涼しいかと思いきや日本を超えるレベルの暑さと湿気でもう夏に台湾は行きたくないなとも思ったのですが何というかディープで楽しいところが多かったので次は台南と高雄に行きたいですね
ちなみにカメラはSigma fpです
新しい仕事になってからというもの完全に出張族。毎日日本のどこかにいるような毎日で楽しく充実している日々なのでその分だけ日本各地の写真が増えていきます。でも相変わらず変わらない写真。どうすればもっと写真が良くなるか考えている毎日です
さいごに
今年は例年に比べて多くのことがありすぎた年でした。でも写真をいくら撮っても私は幸せになれないのに何故いまだに写真を撮り続けているのか自分でもわかりません
悲しみと絶望が私の写真を育てるのか。写真も人生も温いサウナのような状態がずっと続いていますがそれが普通というやつなのかもしれません
一人でも撮る、悲しくても撮る、死ぬまで撮る。今の私は泣いているけれど来年の私は笑っていると信じて。